店長のひとりごと


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2002年12月25日(水)結局全人類は愛ある者とない者の2種類 「日本経済最悪の選択」森永卓郎、「日本資本主義の哲学」木村剛



久しぶりの更新です。
ここんとこ、営業やら来年の教科書の準備やらで忙しくてなかなか更新できませんでした。
今回はまたまた経済の本のお話です。

この2冊はどちらも現在の日本社会の状況を経済学「的」見地から解析、解説し、将来日本社会が
目指す方向を提案している本です。いわゆる「大学で習う経済学」を超越して今現実に起こってい
る事件を元に歴史的な見地から見た日本社会の現状を著者なりに推理し、結論まで導き出していま
す。どちらを読んでも分かり易く、「やっと日本の経済の議論も成熟してきたな」と感じます。

余談ですが、森永卓郎さんは45才、木村剛さんは40才なんです。
やっぱり筋の通った経済論を語れるのは高度成長をほとんど経験していない世代になってしまうん
ですね。いやはや、時代背景ってのは恐ろしいくらい人の考えに影響を与えるものなんですね。

木村剛さんは上記の本の最終章でこう言っています。

松下幸之助は、常々「利益とは、社会に貢献した結果得られる報酬である」と説いておられた。
これは、隣人に対する愛の証が貨幣であり、利益なのだという、まさしく禁欲的なプロテスタント
たちの考え方を反映したものだ。こういう意味では、そうした考え方をする人たちが勝ち残って
いけるようなルールをつくることこそが国家の役目になる。
 逆にいえば、インチキをして生き残っている人たちを退場させることこそが国家の役目であって、
基本的に国家はそれさえやってくれればいい。ルールを守り、社会を幸せにしようという真っ当な
人たちが真っ当にビジネスを続けていけるようにしてくれればよい。そういうルールが整備されて
いるのであれば十分に利益をあげられずに敗退する企業は、隣人への愛が足りなかったということ
で潔くフィールドを後にすべきだ。

パチパチパチパチ・・・・・満場の拍手・・・・・・。
(フェードアウトしたいのですがhtmlでの表現法がみつかりません。だれか教えてくで。)

すばらしい!!。そうです。これです。

これは具体的にはどういうことになのか?。
私なりの解釈をご説明いたしましょう。

例えば前回(8月1日)のひとりごとで書いた「我田引水」ですが、99%の人は「悪い」こと
だと思うでしょう。それでは次にこういう例はどう思いますか?。

「ある駅前商店街では駅の出口から4件目の約15メートル先に本屋がありました。あなたはそ
の駅を毎日利用していて、気がむくとその本屋で立ち読みし、たまには本を買っていました。
そんなある日、その本屋のとなりのとなり、駅により近い約5メートルの場所に規模、品揃え共
に同じ様な本屋ができました。それから数ヶ月後、最初にあった本屋はなくなり、後からできた
本屋だけになりました。」

あなたは後から本屋を開業した会社の社長は「悪い」ことをしたと思いますか?。
・・・
・・・
・・・
「良いこととはいえないと思うけど、悪いとまではいえないなあ・・・」
というのが大多数の人の正直な感想ではないでしょうか?。
・・・
・・・
・・・
客の流れを上流でせきとめて自分の店に引きこむんですよね?。
これって「我田引水」とどう違うんでしょう?。
・・・
・・・
・・・
そうです。これ、まさしく我田引水そのものなんです。
「市場原理」だけでいうなら我田引水されちゃった人は新たに土地を探して引っ越すしかないいんです。
その間にそいつが死のうが生きようが「市場様」の知ったことではありません。



たった10メートル歩くことがおっくうな人はそういないでしょうから、この場合の消費者利益
は限りなく0に近いわけです。

そして、対する悪影響は?

「単に本屋の社長同士が喧嘩しただけだから特にないんじゃない?」

なんてことはありません。

まず、最初の本屋のパートのおばちゃん達が転職を余儀なくされること。しかし、この人達は
新しい本屋で再雇用してもらえる可能性が高いので、これは社会的に見ればたかだか数人が
「一時的」に職を失うだけで、大きな影響はないといえます。

そしてなんと言っても最大の問題は

「前からあった本屋の社長と家族が生活レベルを大きく下げなければならない」、ことで、

そして、「ほとんどの場合」その理由が

最初の本屋の「社長の人格に問題があったとか能力や努力が足りなかった」からではなく、
後から出来た本屋が「資本力に勝っていた」から

だということです。

「お気の毒に」と思うと同時に
「自分が同じ境遇になりませんよう」にって思わず祈っちゃいませんか?。


こういったことを許せば数年後には、

資本力の大きい企業が圧倒的に大きくなり、日本中の本屋とその流通に携わる業界全てに働く人
の大部分が大企業の「使用人」になってしまいます。

すなわち日本中の本屋とその流通に携わる業界全ての利益、正確にはその利益を分配する権限が
その大企業の一部の経営者に集中
することになり、

「貧富の差を拡大する圧力が誰にもとめられないくらい高くなる。」

ということになるのです。
社会的にみればこの「貧富の差の拡大」こそが、他の何よりも最大の不安定要因となるのは自明です。
急速に貧富の差が拡大している社会では、大多数の人々は不安になり、貯蓄に励んだり、
安全な場所を探しまわることでしょう。


うんうん、
今、これを読んでいるみなさんも思わず納得してしまったのではないですか?。

話を元に戻しましょう。

この例のケースを木村剛さん流にいえばの後からできた本屋の社長は

「隣人への愛のない真っ当でない経営」

をしたことなり、

国家によって退場していただく経営者だということになるのでしょう。
国はそのためのルールとジャッジする機関を造れば良い。

再び、パチパチパチパチ・・・・・満場の拍手・・・・・・。


どうです?。すごくすっきりしませんか?。


同様に森永さんの本も全体に「隣人への愛」の感じられる内容になっています。
どちらの本も日本の将来をかなり厳しく分析しているのですが、読み終わると妙なことに安心感
が持ててしまいます。

結局、市場経済が良いとか不良債権をああしてこうして、こねくって処理するのが良いとか
様々な方がいろいろおっしゃっている様ですが、

愛ある者が社会をしきっていれば、社会は住み良いものとなって、経済活動は活発になり、
愛なき者が社会を牛耳ってしまえば、人々は不安にかられ、経済活動は小さくなる。

ってことになっちゃうんです。
市場に愛があるはずないじゃあありませんか!!。
みんな、目を覚まそうよ!!